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2020年

常に成長できる農家でありたい 「探求心」持ってキュウリと向き合う

海津市海津町内記 神野 高規さん

海津胡瓜部会に所属する神野高規たかのりさん(34)は、26アールのハウスで10月から翌年6月まで出荷する冬春キュウリを栽培しています。海津市は冬春キュウリの一大産地。高品質なキュウリの安定生産が求められる中で、神野さんは部会の青年部で部長を務めるなどリーダーシップを発揮し、産地を引っ張っています。

キュウリ農家の両親を見て育ち、中学生のころには農家になることを考えていたという神野さん。岐阜農林高校を卒業後、親元就農しました。

キュウリは、まっすぐなものでないとA品(色や形が最も優れている等級のこと)になりません。まっすぐなキュウリを育てるためには、水や肥料、温度や湿度など日々の栽培管理が重要になってきます。神野さんはキュウリの木の状態を見ながら、天候に合わせて水や肥料の量を調整しています。葉かきや誘引の作業も基本的な作業ではありますが、手を抜くことはありません。夕方の出荷の時間が終わると、再びハウスに戻り、遅い時間まで葉かきや誘引の作業をしています。今作は試験的ではありますが、葉かきを多めに行い、すっきりした木の姿勢を保つことで、日当たりを良くし、生育にどう影響が出るかを見極めています。「自分で思ったことをすぐに試すことができるのが農業の魅力。探求心は常に持っている」と話します。

青年部の部長は、就任して3年目になりました。他産地や量販店の販促活動に出かけたりして、良い刺激をもらっています。また、毎年4月19日の「良いきゅうりの日」には、部会として海津市の学校給食にキュウリを寄贈し、神野さん自身も小中学校に出向き、キュウリのことについて話しながら、子どもたちと一緒に給食を食べています。「自分たちが育てたキュウリをおいしく食べてくれてうれしい。地域の子どもたちに農業のことを伝える活動も大切にしていきたい」と話します。

一昨年の7月には、翔子さんと結婚し、人生を共に歩むパートナーもできた神野さん。「妻の仕事をする姿勢に自分も元気をもらっている。年々成長し、これからも消費者に喜ばれるキュウリを作っていきたい」と意気込みを話しています。

(2020年4月号)

「和牛甲子園」で初の入賞 牛への愛情が好結果生む

写真右が岡田さん、左が久村さん

大垣養老高校 生産科学科養牛専攻 岡田 奈美さん久村ひとみさん

全国30の農業高校から和牛を肥育する“高校牛児”たちが集い、日々の飼養管理や枝肉の評価を競うJA全農主催の「第3回和牛甲子園」が1月16日と17日に東京都港区で行われ、大垣養老高校が「取組評価部門」で審査委員特別賞を受賞しました。同校は2回目の出場で初めての入賞となり、大会に出場した同校生産科学科養牛専攻3年の岡田奈美さん(18)と久村くむらひとみさん(18)は「正直びっくりした。大きな舞台で私たちが評価されるなんて」と喜びを噛みしめています。

同校は、生産科学科養牛専攻の2、3年生が肥育牛、繁殖牛、子牛合わせて25頭ほどを飼育。和牛甲子園には、岡田さんと久村さんが代表で出場し、2人が中心になって世話をしてきた雄牛「翔斗栞ととか」号を出品しました。

大会では、前回の出品牛が食肉市場関係者から「枝肉の厚みが薄い」と指摘を受けたことから、「翔斗栞」号で配合飼料の量を増やし、肉質の向上に取り組んだことを発表。また、来年の第4回大会に出品予定の「侑紀ゆうき」号で肥育前期にタンパク質を多く含む餌を与えていることや、第5回大会に出品予定の「うみ」号で人工哺乳を取り入れ、哺乳量の数値化に取り組んでいることなど長期的な取り組みも紹介しました。

休日も返上して「翔斗栞」号を育ててきたという岡田さんと久村さん。餌の量を増やすと下痢をする確率も高くなるため、体調の変化には十分な注意を払ってきました。毎日丁寧にブラッシングをし、下痢をしていないか、耳をさわって発熱がないかなどのチェックを繰り返してきました。「ツンデレな性格で最初は懐いてくれなかったけど、毎日ブラッシングするうちに仲良くなれた。いろんな経験をさせてもらって『ありがとう』の言葉しか今は見つからない」と「翔斗栞」号への感謝を口にします。

2人はこの貴重な経験を基に、将来は畜産関係の仕事に就きたい考えです。岡田さんは牛の肥育、繁殖、子牛の育成をする一貫経営の農家になること、久村さんはサラブレット(競走馬)の生産に携わることを夢にしています。岡田さんは「学校で肥育経営の面白さを学ばせてもらった。岐阜県内で就農できたら」と語り、久村さんは「高校での経験を通じて血統の魅力を知った。強い競走馬を作りたい」と目標を語ってくれました。

(2020年3月号)

師匠は“じいちゃん” 孫に引き継がれるイチゴ栽培

海津市平田町三郷 森 大輔さん

平田町苺園芸組合に所属し、22アールのハウスでイチゴ「濃姫」を栽培する森大輔さん(29)は、長年イチゴを栽培してきた祖父母の後継者として9年前に就農しました。夢は尊敬する祖父・昌昭さんを超えるイチゴ農家になること。その夢に向かってイチゴと向き合う日々が続いています。

幼いころから昌昭さんや今は亡くなってしまった祖母・美佐子さんの姿を見て育ち、農業のことを学ぶため、大垣養老高校、岐阜県農業大学校へ進学。経営作物は迷っていましたが、祖父母や10アール収量が県下トップクラスの同組合の存在が後押しとなり、イチゴ農家になることを決めました。

就農後は、昌昭さんから指導を受け、栽培について多くを学びました。中でも、「イチゴは手をかけた分だけ結果で返してくれる作物だ」と何度も言われたことが印象に残っているそうで、作業で忙しく妥協したくなるときもこの言葉を思い出し、自分を奮起させてきました。「じいちゃんのイチゴにかける情熱や、とことん追求する姿勢は自分の原点」と大輔さんは話します。

森家のイチゴ栽培で代々引き継がれているのは、大玉で品質の良いイチゴを作ること。そのため、大輔さんは土づくりや摘果作業を徹底しています。土づくりでは、一般農家と比べて倍の量となる堆肥を植え付け前に投入して地力アップを図り、摘果作業では、摘み残しがないように、通常では1回の巡回で終わるところを2回巡回するようにしています。

今年度からは海津市の4Hクラブ(農業青年クラブ)の会長も務めている大輔さん。同世代の農業者と交流する機会も増え、「自分の経営は今のままでいいのか」と自問自答することが増えてきたと言います。はっきりした答えはまだ出せていませんが、昌昭さんから引き継いだ技術に自分の色をプラスしていくことが大切だと考えるようになりました。「じいちゃんはじいちゃん。自分は自分。じいちゃんから教えてもらったことをベースに、自分らしさもアレンジして、イチゴ農家として成長していきたい」と前だけを見据えています。

(2020年2月号)

大輔さんを支える祖父の昌昭さんと妻の遥香さん

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