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2019年

地域との絆を大切に 高品質な小松菜作りに励む

神戸町落合 加藤 敦士さん

神戸町のJA下宮青果部会協議会に所属する加藤敦士さん(37)は、80アールのハウスを利用して、小松菜とグリーンねぎを栽培しています。地域とのつながりを大切にしており、JAの青年部にも所属。周りの若手生産者と切磋琢磨し、さらなる栽培技術の向上を目指しています。

大野町出身の加藤さん。小さい頃から花を育てることが大好きで、将来は農家になることが夢でした。岐阜農林高校を卒業後、岐阜市の農業法人などで野菜の栽培技術の経験を積み、小松菜を大規模で栽培する神戸町の(有)健康やさい村に従業員として雇用されたことで、「神戸町で農家になりたい」と強く思うようになりました。

4年間、同社で小松菜栽培の技術を学んだ後、33歳で独立。周りのサポートのおかげで、農地や作業場も確保できました。加藤さんは「町外出身の自分に、周りの方々はやさしくサポートしてくれた。そこから農業を通じて地域に貢献したいという思いや、地域の方とのつながりを大切にしたいという気持ちが強くなった」と語ります。

経営の主力品目である小松菜は、ハウスで年6作し、周年栽培しています。鮮度にこだわりながら、どの季節でも安定供給できるように心掛けています。特に夏場は、暑さで発芽不良になりやすいため、遮光資材の活用や小まめな水やりで、収量を確保しています。「栽培管理ひとつで、生育が変わってしまうのが農業の難しいところでもあり、面白いところ。思い通りのきれいな小松菜ができたときはうれしいし、その達成感は何事にもかえ難い」と話します。

所属するJAの青年部は、加藤さんにとって積極的に情報交換できる場であり、栽培技術の向上につながる場です。「周りの若手生産者は、ライバルであり、良き理解者。お互い切磋琢磨し、高めあっていければ」と意欲を見せています。また、青年部の活動では体験農園などで子どもたちと交流する機会があります。「次世代の子どもたちにも土に触れる楽しさを知って農業を好きになってもらいたい」と願っています。

今後は、もっと信頼される農家になるために、「技術的にも人間的にもレベルアップを目指したい」と話す加藤さん。「今はまだ土台づくりの段階。目の前の課題を一つひとつクリアし、ステップアップしていければ」と意気込みを話しています。

(2019年12月号)

常に意識するのは“消費者の笑顔” 父の死乗り越えさらなる高みへ

海津市平田町脇野 小寺 智恵さん

冬春トマトの一大産地である海津市で、女性農家として活躍する小寺智恵さん(30)。持ち前の明るさとポジティブ思考でトマトと向き合い、高品質・高収量を目指しています。

小寺さんがトマト農家になったのは、突然の出来事がきっかけでした。栽培に従事していた父親が急病により亡くなったためです。当時24歳だった小寺さん。小さい頃から目標にしていた福祉関係の仕事に就くことが決まっていましたが、あきらめるしかありませんでした。

そんな中、「家族を守っていくには、自分がトマト栽培を継ぐしかない」と覚悟を決め、叔父の建治さんや祖母の弥生さんに教わりながら、無我夢中でトマトの栽培技術を身につけました。

県の普及員や近所のトマト農家も小寺さんをサポート。心配して定期的にハウスを覗いてくれました。「何も知らない私に手を差し伸べてくれた。今の私があるのは、家族や周りの皆さんのサポートのおかげ」と感謝の言葉を口にします。

「日ごろは、消費者の顔を思い浮かべながら作業するようにしている」という小寺さん。収入に直結する収量も大切ですが、消費者に喜んでもらえるトマトを作ろうと、味にもこだわっています。定期的に自分の作ったトマトを試食しては味を確かめ、栽培に生かすようにしています。

トマトは、温度が1度変われば樹の状態が変わるというように、繊細な作物です。毎日、樹の状態の確認は欠かせません。「花が付いている高さや茎の太さなどを見て樹の状態をチェックしている。少しでも変化があれば、液肥やかん水の量を変えたりして、早めの対処を心掛けている」と話します。

昨年からは、先輩農家から教わった長段取りの新たな吊り下げ方法を試すなど、さらなる栽培技術の向上を目指しています。「10アール当たりで20トン以上の収量を上げる先輩方もいる。それに比べれば私はまだまだ半人前。もっといろんなことを吸収し、一人前の農家になることが父への恩返しにもなるし、父も応援してくれると思う」とさらなる成長を誓っています。

(2019年11月号)

祖母の弥生さん(右)は智恵さんの強い味方

おふくろの味を地域に発信 オリジナル弁当も人気

女性部加工グループ 豆菜花まめなかクラブ

JA女性部加工グループ「豆菜花クラブ」は、毎週土・日曜日に、大垣市東前町のファーマーズマーケット専用ブースで、地元の農産物を使った加工品を販売し、地産地消の拡大に大きく貢献しています。販売する加工品は、大豆コロッケやおはぎなどの定番メニューを中心に30種類以上。最近はオリジナル弁当の販売も始め、人気を集めています。

「おふくろの味を地域に発信しよう」と2011年3月に結成し、現在は7人のメンバーで活動。クラブの名前は飛騨地方の方言で「お元気ですか」を意味する“まめなかな”から付けました。

食材はJAのファーマーズマーケットから仕入れたり、メンバーが自宅から持ち込んだりして、とことん“地元”にこだわっています。加工品は、メンバー同士が話し合い、試食もして「これなら消費者に喜んでもらえそう」と、意見が一致したものだけを商品化しています。

定番メニューとなっている大豆コロッケは、にしみの産の「フクユタカ」をたっぷり使い、飛騨牛のミンチも入れて、贅沢に仕上げています。もう一つの定番メニューであるおはぎは、地元の営農組合から仕入れたもち米を使い、「きなこ」と「つぶあん」でシンプルに味付けをしています。「どこか懐かしく素朴な味がする」とリピーターの多い一品です。

2年前には、ファーマーズマーケットの来店者やJA職員の強い要望からお弁当を考案。お弁当には、大豆コロッケや天ぷら、煮物、ちらし寿司などの人気メニューを入れて、400円で販売しています。お得な価格と1日20個限定販売のため、販売開始後1時間で完売してしまうほどです。

同クラブリーダーの石田敏恵さんは「若者からお年寄りまで幅広い世代に買っていただけてうれしい。私たちにとっては消費者の“笑顔”が何よりも宝物」と語ります。

これからクラブが新しい挑戦として掲げるのは、食品ロスを減らすこと。まずは、身近なファーマーズマーケットでの食品ロスを減らしたい考えです。石田さんは「仲間がいるからこそ続けられる。今後も仲間を大切に、私たちらしく楽しく活動していきたい」と笑顔で話しています。

(2019年10月号)

素朴な味が人気のおはぎ
1日20個限定のオリジナル弁当。
定番の大豆コロッケも入っている

伝統ある梨産地を守りたい 新技術導入し産地をけん引

大垣市曽根町 (株)DIB代表取締役 林 達也さん

農業生産法人(株)DIBの林達也代表取締役(45)は、水稲との複合で経営する梨で、新技術「盛土式根圏制御栽培法」を導入し、経営の安定化、産地の維持・拡大を目指しています。「盛土式根圏制御栽培法」は、遮根シートの上に培土を盛土して苗を植え付け、根域を土壌から隔離して栽培する方法。マニュアルに基づいたこまめな養水分管理を行うことで、根域の生育をコントロールし、早期の成園化、早期多収量生産、作業の効率化・省力化につなげることができます。同社では2017年2月に「盛土式根圏制御栽培法」の苗木を植え、3年目の今年初めての出荷を迎えました。今後は、モデル園として後継者育成にも活用していく考えです。

梨は通常、地上約1メートル80センチの高さの平棚に枝を固定して栽培しますが、「盛土式根圏制御栽培法」はY字に枝を張り出させ、密植栽培することで、農地の単位面積当たりの収穫量を増やします。施肥方法も工夫することで収穫量は通常栽培の2倍以上になります。

苗木を植えて2年目から収穫も可能で、通常栽培の成園化にかかる7~8年目より大幅に短縮できます。樹形もコンパクトなY字のため、作業がしやすく、日光も良く当たるため糖度の高い梨が期待できます。

大垣市は県内屈指の梨の産地ですが、生産者の高齢化や後継者不足が課題となっていました。そこで、立ち上がったのが林代表です。林代表は父の政美さんが大垣曽根梨部会の部会長として梨を栽培しており、産地への思いは人一倍強くありました。産地の維持・拡大のため、複合経営の品目として梨の導入を決め、15アールに「幸水」「豊水」「あきづき」「甘太」の4品種の苗木を「盛土式根圏制御栽培法」で植えました。

今年の販売は、地元市場と直売が中心ですが、ネット販売の導入も検討しています。付加価値の高い梨として、オリジナルのネーミングでの出荷や加工品の開発で、ブランド化も進めます。さらに、管理作業の効率化・省力化、早期に収入が得られる利点を生かして新規就農者、定年帰農者など新たな担い手を確保するためのモデル園としても活用していく考えです。林代表は「まずは大垣の梨をこの栽培方法を通じて有名にしたい。そして、若者がもっと農業に参入してくれるよう、農業を魅力のある産業にしていきたい」と意気込みを話しています。

(2019年9月号)

Y字立てが特徴の「盛土式根圏制御栽培法」

食を支える農業に携わる喜び 後継者育成にも力

安八町牧 渡辺 智幸さん

安八町の牧園芸組合に所属する渡辺智幸さん(42)は、組合で最も若く、若手のホープとして産地をけん引しています。季節に合わせて、エダマメ、ナス、ダイコン、ホウレンソウ、キャベツを栽培。課題となっている後継者育成にも意欲を見せています。

就農したのは平成24年で、サラリーマンから転身しました。きっかけは専業農家として働く両親の存在でした。人生をかけてひたむきに農業に取り組む両親の姿を見て「誰かが継がなければ両親の代で終わってしまう。このまま終わらせてしまっては寂しい」と農家になることを決意しました。

「とにかく前向きに、何事も挑戦してみること」がモットーの智幸さん。組合で唯一夏場の品目としてエダマメとナスの両方を栽培しています。そのため、収穫の最盛期になるとエダマメとナスの畑を行ったり来たりで、休む暇もないほど忙しい日が続きます。それでも「好きなことを仕事にさせてもらっている。これ以上幸せなことはない」と疲れを見せません。

「農業は人にとって欠かすことができない『食』を支える産業。きれいな野菜を作れたときはうれしいし、消費者から『おいしい』と言ってもらえたときは農家をしていて良かったと心底思う」と農業へのやりがいを口にします。

今年からは、経験に頼る農業からデータに基づいた農業にしていこうと、県などと連携し、土壌診断を始めました。「初めて土壌診断をしてみて、自分の想像以上に土作りができていないことに気づいた。農業の“見える化”にも積極的に取り組んでいきたい」と意気込みを話します。

順調な農家生活を送る智幸さんですが、今直面しているのが、高齢化や後継者不足による産地の弱体化です。10年前と比べ組合の農家数は半減してしまいました。「今の自分たちがあるのは先代の皆さんが栽培体系や販路を確立してくれたおかげ。今度は自分たちが『農業は儲かるぞ』『農業って楽しいぞ』というのを示し、後継者育成にも力を入れていきたい」と力強く話しています。

(2019年8月号)

智幸さんの愛車「ポーターキャブ」。レトロな雰囲気が一際目を引く。

おいしい米づくりに注力 地域から愛される農家目指す

神戸町柳瀬 若松 正憲さん

神戸町で個人の担い手として活躍する若松正憲さん(37)。種まきから育苗、田植え、刈取り、乾燥、籾摺りまでを一貫して行う米農家で、地域の作業受託も行っています。ハツシモ、コシヒカリ、ほしじるし、もち米の4品種を約32ヘクタールで栽培するほか、小麦12ヘクタール、大豆7ヘクタール、春ダイコン10アールも栽培しています。

専業農家の長男として生まれた正憲さん。小さい頃から農業が身近な存在で、いずれは農家になりたいと考えていましたが、ものづくりの仕事にも魅力を感じていたため、大学卒業後は、自動車や航空機などの部品を製造する会社に就職。その後27歳で就農しました。前職の経験は今に活かされており、機械や施設の整備、修理はほとんど自分でこなしています。

就農後、仕事の手本となったのは父の正樹さん。米作りのノウハウから地域とのつながりの大切さまで多くのことを学びました。「今こうして農業ができているのも父をはじめとする家族が地域との絆を大切にしてきたからこそ。農地を預けてもらっている以上、自分も強い責任感を持って仕事をしたい」と話します。

おいしい米を作るために心がけていることは土づくり。就農当初からいくつかのモデル圃場を作り、土壌改良材の施用量を変えながら食味の検証を繰り返し、地力を高めることで米のおいしさを追求してきました。その努力が実を結び、JAが主催する米のコンクールで、3年前にコシヒカリで優良賞、昨年はハツシモで優秀賞に輝きました。「P(Plan)D(Do)C(Check)A(Action)サイクルを繰り返し行ったことが結果につながったと思う。自分なりに努力したことが評価されてうれしい」と笑顔を見せます。

新しい技術の導入にも積極的で、すでに省力化につながる密苗やICT(情報通信技術)の活用に取り組んでいます。5月中旬には、タブレット端末を運転席に取り付け、GPS付田植え機で田植えを行いました。「多くのほ場を管理する上で、ほ場1枚1枚の情報を今まで以上に細かく管理できる」と新たな技術に期待しています。GAP(農業生産工程管理)の認証取得も視野に入れており、今年度中の県GAPの取得を目指しています。「地域に寄り添い地域に愛される農家でいたいし、おいしいお米を作り続けたい。そのためには、新しいことにも積極的にチャレンジし、レベルアップしていきたい」とさらなるステップアップに意欲を見せています。

(2019年6月号)

田植え機に取り付けられたタブレット端末。
ICTの活用にも積極的に取り組む。

消費者の『おいしい』が励みに 積み重ねた経験生かす

神戸町斉田 和田 敦志さん

和田敦志さん(39)は、葉物野菜の産地・神戸町下宮地区では珍しいミニトマト農家。約20アールのハウスで、糖度が高く食味の良い品種「千果ちか」を栽培し、岐阜市場やJAのファーマーズマーケット、大手量販店などに出荷しています。

実家がバラ農家の和田さんは専門学校を卒業後、自動車整備士として働いていましたが、27歳のとき、父から「お前も農業をやらないか」と背中を押され、農家に転身することを決意しました。

ミニトマトは、ヤシガラなどが入った樽のような容器とロックウールを培地にし、養液栽培しています。養液の濃度は就農当初から、試行錯誤し独自のものに調整。それを木の状態や天候などを見極めながら与えています。

病害虫の予防も欠かしていません。和田さんは6年ほど前、ミニトマトの異変を見逃し、病害虫による被害で、一時期出荷できない経験をしました。それ以来、木1本1本を丁寧に見回り、病害虫を予防するための消毒を徹底しています。

誘引とこまめな葉かきも重要な作業と捉えています。誘引はつるや茎を支柱に結びつけ、生長の方向や木のバランスを調整する作業のこと。和田さんは今年から新たな誘引方法を導入し、さらなる品質向上に力を注いでいます。「農業は自分の努力が結果となって表れる。大変だが、それがやりがいでもある」と話します。

そして、もう一つ和田さんを支えるのが消費者の声です。ファーマーズマーケットなどで商品を並べていると消費者から声をかけられることがあるそうで、「トマト嫌いな子どもが和田さんのトマトなら『おいしい』と言って食べてくれる」「和田さんのトマトは『甘い』」と言ってもらえたときは、「農家をしていてよかった」と感じるそうです。

農家として円熟期に入った和田さん。今後の目標は収量を上げることです。現状10アール当たりの収量は9トンほどで、10トン超えを目指しています。「農業に自分は成長させてもらっている。努力を積み重ねていけば必ず10トンは超えられるはず」と意欲を見せています。

(2019年5月号)

経験を積み重ね技術磨く 志高くキュウリと向き合う

海津市海津町長久保 福島 正文さん

海津市海津町長久保の福島正文さん(56)は28アールのハウスで、冬春キュウリを栽培しています。所属する海津胡瓜部会では技術長を務めるなど高い栽培技術を有し、高品質なキュウリの安定出荷を実現しています。

「実家が農家にも関わらず、農業は全く手伝ってこなかった」と話す福島さん。高校卒業後も農業の道には進まず、建築関係の仕事に就きました。しかし、23歳のとき父が病に倒れ、何も分からないまま家業を継ぐことになりました。

キュウリの栽培を始めてからは「自分がやるしかない」と腹をくくり、とにかく現場(ハウス)に足を運ぶことで、栽培技術を身に付けようと努力を重ねてきました。「当時は同世代の仲間が周りにいなくてつらかった。でも、とこトンキュウリと向き合う時間がつくれたことで自分の成長につながった」と振り返ります。

日々の管理で大切にしていることは、小まめな葉かきや芽かき。この作業を徹底することで、木全体にバランス良く光を当て光合成の促進につなげています。葉かきや芽かきは基本的な管理で、簡単な作業と思われがちですが、出荷最盛期となる4~6月はキュウリの生長が早く、収穫と同時に葉かきや芽かきを行うのは大変な労力がかかります。「農業は自分の頑張りが品質や収量になって表れる。良いものをつくるには自分に妥協はできない」と福島さんは自分自身に言い聞かせています。

キュウリは比較的病気に弱い野菜とされているため、病害虫対策も欠かせません。アザミウマ類の対策として、ハウスに赤色の防虫ネットを張ったり、天敵製剤「スワルスキーカブリダニ」を使用するなどして予防に努めています。

毎年目標にしている収量は10アール当たりで25トン。敢えて高い目標を掲げることで自分を奮い立たせています。また、最近は大好きなお酒も控えるなど「早寝早起」を心掛け、体調管理にも気を配っています。

「元気なうちは農業を楽しみたい」と“生涯現役”を宣言する福島さん。これからもキュウリ農家のプロとして産地を引っ張っていきます。

(2019年4月号)

4月19日は「41きゅう9りの日」

ファーマーズマーケット全店では特売を実施予定!!
みんなも海津産キュウリを食べよう!!

夢追いかけ夫婦でトマト農家に 次なる夢は6次産業化

養老町下笠 成願 洋治郎さん千明さん

養老町下笠で、同町のブランドトマト「養老育ち」を栽培する成願洋治郎さん(51)と千明さん(51)夫婦。謙虚な姿勢を忘れず、こまめな管理を徹底することで高品質なトマトの栽培を実現しています。

元々は大手量販店で販売員をしていた成願さん夫婦。そこで出会ったきれいな野菜たちを見て、「自分たちも農家になって、おいしいものを消費者に届けたい」と強く思うようになりました。農家への転身を決意すると、JAに相談。研修先を紹介してもらい、海津市の農家で千明さんは半年間、洋治郎さんは3カ月間トマト栽培について学び、平成12年に二人揃って就農しました。

就農当時は、分からないことばかりでしたが、周りのトマト農家に助けられながら、仕事をこなしてきました。洋治郎さんは「技術的なことも嫌な顔ひとつせずに教えてくれた。今の自分たちがあるのも周りの方々の支えのおかげ」と感謝の言葉を口にします。

大切にしていることは、謙虚な姿勢でトマトと向き合うこと。決して現状に満足することはありません。摘果や葉かきなどの基本的な管理を徹底することに加え、近年はICT(情報通信技術)を活用した環境制御などにも積極的に取り組んでいます。「シンプルにどうしたらおいしいトマトができるか、それだけを考えている」と洋治郎さんは語ります。

地域とのつながりも大切にし、毎年地元小学校のトマトハウスの見学を受け入れています。「今はトマトがどんなふうにつくられているか知らない子もいる。地元のことには関心を持ってほしいし、自分たちも初心に戻ることができて良いイベントになっている」と笑顔を見せます。

「農家になる」という夢を実現し、今では「四六時中トマトのことを考えることができて幸せ」と語る成願さん夫婦。次なる夢は6次産業化です。「トマトジュースやケチャップなどの加工品を自分たちが所属する組合で作ってみたい。そのために今は一生懸命トマトと向き合い、一緒に成長していきたい」と強い思いを語ってくれました。

(2019年3月号)

変化見極め高品質・高収量を実現 我が子のようにイチゴと接する

養老町橋爪 水野 直樹さん

養老町で、イチゴ「濃姫」の高設栽培を手掛ける水野直樹さん(56)。就農したのは5年前と、農業経験が浅いにも関わらず、日々の生育確認と小まめな管理を徹底することで、高品質なイチゴの安定出荷を実現しています。

実家が兼業農家で、小さい頃から農業を手伝っていた水野さん。大学卒業後はアパレル関係の会社に就職しましたが、20歳のころから抱いていた「施設園芸をやってみたい」という夢をあきらめきれず、長女の就職をきっかけに、農家への転身を決意しました。

イチゴの栽培技術は、「JA全農岐阜いちご新規就農者研修所」の1年2カ月に及ぶ研修で身につけました。「栽培方法はもちろん、農業経営など農家として必要な知識をたくさん学ぶことができた。今の自分があるのは、研修所での経験のおかげ」と語ります。

高設栽培でのイチゴの出来栄えは、天候に加え、ハウス内の温度や湿度、養液の管理などに左右されます。水野さんは毎日一株一株イチゴの生育状況を見ながら、「今、イチゴが求めていることは何なのか」を常に考え、状況判断するようにしています。小まめな管理は、イチゴの収量にも表れ、10アール当たりの平均収量は安定して6トンを記録するようになりました。

それでも、まだまだ失敗することはたくさんあると言い、水野さんはイチゴの存在を「なかなか言うことを聞いてくれない可愛い子どもみたい」と表現します。まっすぐにイチゴと向き合い、無事に出荷できたときの喜びは、子育てに共通する部分があるそうです。

自分の夢を叶え、イチゴ農家として円熟期に入った水野さん。今目標としているのは、さらなる収量の向上です。具体的には10アール当たりの収量で7トンを目指しています。「県内には、10アール当たりで8トンとる農家もいる。失敗を良い経験に変え、栽培技術の向上と作業の効率化を図り、一歩一歩イチゴ農家として成長していきたい」と意気込みを話してくれました。

(2019年2月号)

水野さんの愛情を受け元気に育つイチゴたち

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